平成26年度全道町内会活動研究大会の報告

大会テーマ「地域の絆づくりと住民主体のまちづくり」
~人と人とのつながりを大切にした地域づくりが提案される~

 

 

 平成26年度全道町内会活動研究大会が、去る5月27日、札幌市かでる2.7において、道内各地より約280名の参加を得て、開催されました。
 大会は、表彰、基調説明、講演の内容で行われました。講演は、作家の小檜山博氏を講師に招き、「安心・安全をめざした地域の絆づくり・まちづくり~ひとりでは生きられない」をテーマにお話いただきました。
 大会席上、北海道町内会連合会の表彰式が執り行われ、27組織83名の方々が表彰を受けられ、受賞者を代表して、岩見沢市の三上宏一さんが謝辞を述べられました。
 以下、講演の概要をご紹介します。

 

 

▲大会の開会挨拶

 

▲表彰式

 

講演「安心・安全をめざした地域の絆づくり・まちづくり~ひとりでは生きられない」
   講師 小檜山 博 氏(作家)

▲講師の小檜山博さん

 

◆水は命

 

 昨晩、雨が降りました。僕は滝上町の農家に生まれたので、農作物を育てる雨が降ると非常に嬉しい。本州よりも北海道のほうが、水道水は美味しく、鶏は卵を多く産み、牛は乳をたくさん出し、作物が多く収穫できます。それは、雪解け水のおかげだとわかってきました。北海道は、四季がはっきりしていて雪が降る素晴らしい環境です。例えば、1キロの小麦を作るのには1トンの水、1頭の牛を育てるには2千トンの水が必要で、水は命と言えます。地球上にある水の97%は、飲料水・農業用・工業用にも使えず、地球上には本当に微かしかない水が、北海道には非常に豊富にあります。

 

◆農業がなくなれば国が消える

 

 食べ物が美味しい北海道の住民として、また、地域を守るということを考える上で食糧自給は重要です。日本の自給率は39%で、TPPに加盟すると良くて19%、悪くて13%だろうと言われています。日本米は、アメリカ輸入米の約5倍の値段です。しかし、朝昼晩、日本米を2杯ずつ、1日6杯食べても140円にしかならないのに、ペットボトルのお茶が同じ値段で売っています。米は高いと思われがちですが、こんなに安いものはありません。農業がなくなればその国は消えていきます。農家は、土を耕して、肥料をやり、種を蒔き、水をやって、雑草を取る。これは全て1円にもならず、経済として考えるとこんな割に合わない仕事はありませんが、人間は食べなければ死にますから、農業を経済効率で見てはいけません。日本には今、食糧備蓄が多めにみて4ヵ月分ありますが、4ヵ月以上、外国が干ばつや冷害で輸入が絶えた場合、8千万人が餓死し、もしTPPに加盟し自給率13%になって輸入が絶えると1億人が餓死します。ここまで日本は追い込まれています。

 

◆自分を生かしてくれる人がいる

 

 僕は苫小牧工業高校の寄宿舎に入っていまして、その頃はいつも腹を減らしていました。寄宿舎の生徒が夜中に抜け出して、近所の農家からジャガイモやカボチャを盗んで食べていました。その49年後、講演の後に一杯飲んでいた時、向かいに座った60歳ぐらいの女性が「私、小檜山さんの寄宿舎の裏にあった農家の娘でございます」と言いました。僕が驚いていると、彼女は笑いながら「ある日、農作物を盗むのが寄宿舎の生徒だとわかり、父が学校へ抗議に行こうとしました。すると母が『やめとき。あそこは貧乏人の子が多くて、腹減らしてるから。来年から多く作ればいいべさ』と止めました。父は学校に抗議に行くのをやめ、次の年から、ジャガイモやトウキビを多く作るようになった」と言い、僕は絶句して天を仰ぎました。僕らが盗む分まで作っていた人がいたのです。考えてみれば、僕の服や食糧、全部人様が作ったもので生きている。僕の考え方や思想も、人が書いた本をたくさん読んで、それを頭の中で混ぜて今お話をしています。自分を生かしてくれる人がいることを、彼女から49年経って聞くまでわからなかった。

 

◆まちづくりの3要素「若者・よそ者・馬鹿者」

 

 まちづくりは、人間の体と同じです。人は病気をすると薬を飲む必要もありますが、自分の力で良くなろうとする意志をもつことと、食べ物で体力をつけることが大切です。まちづくりも同じで、国や道庁からお金をもらうことではなく、自分達がまちを良くしていくという意志をもって、知恵を出し合い、力をつけていくしかない。まちづくりを考えるとき、「若者・よそ者・馬鹿者」という3要素があります。若者はエネルギーのある若い人達の力。よそ者は、自分達の世界だけではなく、他の町がどうやっているか、他人からの意見を聞くこと。馬鹿者は、とにかく出発、一歩踏み出すことができる人。まちづくりにはこの3要素が必要です。

 

◆住民が生きがいを感じるまちに

 

 良いまちは、住民一人ひとりが生きがいをもっています。例えば僕のお袋は、早朝から夜まで畑を這いずりまわって働いていましたが、帰って風呂からあがると「いやあ、極楽だでやー」と台所の隅っこに寝転び、確かにその時は生きがいを感じていたと思います。生きがいは、苦しい中にもピカっと光った喜びにあります。現代人は、楽しいこと、豊かなこと、お金があって使うことが、生きがいのように勘違いしています。つまり、毎日を不足なく暮らして、明日のことを考えることが出来る、普通に生きている状態が生きがいです。このように、住民一人ひとりが生きがいを「作る」のではなく、「感じて」ほしいと思います。また、人間には4つの欲求があります。1つ目は元気でいたい、2つ目は安心していたい、3つ目に愛されたい、4つ目は認められ褒められたいということです。自分がこれらの欲求を満たされたいと求めるなら、相手のことも満たしてあげる必要があります。

 

◆住民の心の自立が地域を活性化させる

 

 人は高齢になると、今まで社会のために働いてきたので、これからは恩恵を受けようと思いがちですが、そうではなく、今まで国や地域から面倒をみてもらって生きてこられたから、何かで社会に返そうと思っていただきたい。地域を活性化させるためには、まず地域の住民の心が自立する必要があります。心の自立とは、自分一人では生きていけないという認識を持つことです。新聞に「バスで高齢者に席を譲ったが、礼を言われなかった」という投書が載っていました。確かに礼は言うべきですが、困っている人や高齢者に席を譲るのは当たり前のことで、感謝の言葉を求めるのは、押し付けがましいことです。こういうところに日本人の未熟さがあります。例えば、アメリカは乗り物の中で席を譲る確率は51%、イギリスは63%、日本はアジアで一番低い19%です。しかし、戦後間もない日本では、皆が困っていて皆が譲り合いました。日本は、経済発展して豊かになりましたが、それに反して心が貧しくなってしまったという典型です。

 

◆人間の優しさを学んだ高校時代

 

 高校2年生の夏休みに実家に帰ると「もう仕送りが出来ないから学校をやめてくれ」と言われました。僕は土下座をして泣きながら頼みましたが、お袋に「親に首吊れと言うのか」と泣かれました。すると長男が「学校に戻れ。俺が出稼ぎに行って金を送ってやる」と言ってくれました。学校に戻る時、親父はよそから借りてきたお金を僕にくれましたが、その金を受け取る時の気持ちが55年経った今も残っています。しかし、卒業の時は2ヶ月分の授業料を滞納していて、納めるまで卒業証書はもらえませんでした。仕送りがあるまで寄宿舎で水を飲んで耐えなければならなかった時、下級生3人が、自分達のどんぶりから分けたご飯と、鍋の底に残った味噌汁を「先輩、これ食ってください」と、6日間、朝昼晩、部屋に運んできてくれました。48歳になって、当時の下級生にお礼をいうと、3人とも「全然覚えてない」と忘れたふりをしてくれました。高校の勉強は何も覚えていませんが、人間の優しさとは何かを学びました。だから、僕は、小説やエッセイに人間の善意と良心しか書かなくて、殺すという言葉は1回も書いていません。

 

◆子どもを育てるために大切な言葉

 

 今の世の中は、人間が動物化しつつあると言われています。人間と動物の違いを1つだけあげると、人は言葉を使って読み書きすることです。例えば「こんにちは」という言葉は、「今日はいいお天気ですね。お体の具合はいかがですか?」という思いやりの言葉です。「ありがとう」という言葉は、「有る」という字と「難い」。何かをしてもらうことは、有り得ないほど難しいということです。ある母親が、「費用をきちんと払っているから、幼稚園のご飯に『いただきます』と言わせないでください」と幼稚園に抗議したことが新聞に載っていました。「いただきます」というのは、動物、植物の命をいただいていること。それから、農家の人、ご飯を作ってくれた人、お金を出してくれた親、全ての感謝を込めて「いただきます」ということを、この母親は知らないのです。挨拶は、相手の気持ちと自分の気持ちを結びつける原点ということをわからない日本人が多い。生まれてきた子どもをどう育てるかの責任は、1つ目は親、2つ目は地域、3つ目は学校、4つ目は国家にあります。この責任でまず大切なのは、母語を教えることです。人間は1歳でやっと5つの言葉を覚え、2歳で260語、そして3歳で800語覚えます。最近は、テレビに子どものお守りをさせてしまう親がいますが、テレビには、非常に汚い言葉を投げ合っている番組があります。その言葉が、親が教える前に400語入ってしまったら、800しか覚えられない中の半分が汚い言葉で作られてしまいます。住民は、自分の子どもを育てるだけではなく、地域の子どもを育てなければいけません。

 

◆コクヨ原稿用紙のつながり

 

▲講演後のサイン会

 僕は、コクヨのK―60という原稿用紙を長年使っています。40年ほど前、札幌駅前の難波商店でこれを30冊程求めました。なぜそんなに買うのかと商店の女性が尋ねたので、小説を書いていると答えると、「頑張りなさい」と言って2割値引いてくれました。その女性が難波商店の専務で、それからは原稿用紙を32年間そこで買い続けました。しかし、難波商店は倒産してしまい、僕は、原稿用紙を32年間値引きし続けてくれた人がいることをJR北海道の車内誌に書きました。すると、難波さんから電話がきて、「当時、私が不渡りを出した銀行の支店長が来て、『もう一度店をやりませんか。あなたのやったことは商売ではなく文化です。小檜山という作家に32年間も値引きをしたことは、商人というより文化人としての仕事です。それをしたあなたに敬意をもって融資をします』と言われました。そして取引先も全部集まり、私はもう一度文房具屋を開設します」と、彼女は泣きながら話しました。現代はパソコンやメールがありますが、僕は原稿用紙に文字を書く人間です。文字で何かを動かすことが可能だとまだ信じていて、これからもそれを訴えていこうと思っています。

(文責 事務局)

 

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